ただの偶然が。。
- 鈴木厚本人
- 2022年3月14日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年3月15日
我が〇〇団地は、他所から来たエリートサラリーマン中心の居住者組合が1970年代に、広大な田圃に面する神社のあった小高い丘の上部を整地、造成した。私が今年、役員をしている自治会はその居住者組合の後継団体である。
100軒ほどの団地=集落だが、直角、直角の区画で周りの田圃、畑、ポツポツある昔からの家々とはちょっと隔絶した感があり、周りの農家の方たちは「上」と呼んだりしている。
最近は言う人いなくなったが、造成からしばらくの間、団地住民は「取手の田園調布」などと気取っていたそうだ。
亡父実は1985年に流山から引っ越してきた。
ところで、2002年に父が知っている人は知っている嫌な死に方をした。
その時、私は柏の借家に住んでいたのだが、団地内に住んでいて、偶然、以前からよく知っていた奥さんが私に「アツシくん、あの家売った方がいいかもね。あそこはこの団地作る前は神社が建っていた場所なんだよ。お隣も変な死に方(亡父と同じ)したんだよ。下じゃ祟りだって言っているよ」
ちょっと鳥肌は立ったものだが、売っても駅から離れていて、それほどのお金にならないし自分で働いて他に亡父母と私の売れない巨大作品多数の保管場所兼アトリエ付きの家を建てるほどの甲斐性などない。
父を慕っていたある若い僧侶の方にタダでお祓い(御祈祷?)してもらって祟りの件は済まし、亡父に代わって入居、今も住み続けているわけである。
でも、もしかすると地元(下)の人には、やっぱりいくら荒れているからと言って昔からある神社を壊して宅地にしたことに何らかの屈託はあるのかもしれないとは思った。 ただの偶然が、旧住民と新住民との接触、葛藤の中で「祟り」となってしまう。
とは言うものの、入居後しばらくして焼き物を初めてからは、ものすごく大変で、「あわんとり」(どんと焼きの県南特有の言い方。小正月のお焚き上げ)にわが〇〇団地の子供が呼ばれないぐらいのことでしかそれを意識する機会はなかった。
しかし、昨年末、家人が直進運転中交差点で飛び出してきた70代老人の運転する車に当てられて救急搬送されそのまま6週間の入院になったことを始め、ここ数年、近所数軒以内で交通事故で死にかけたという例が他に2例、また孤独死もあり、神社の件を思い出すようになった。ちょっと怖くなった。
後記
それだけ自殺者も交通事故も多いと言うことで、たまたま少し重なっただけのことです。
父が死んだ2002年の同じ死因の人は全国では3万人を超えており、昨年=2021年単年での交通事故での負傷者数はだいぶ減ったと言われて36万1768人だそうです。
そもそも人間の死亡率は100%なのです。2021年の死亡数は145万2289人で、コロナの影響もあって戦後最大だそうです。 葡萄パンの葡萄はいくら生地を攪拌しても葡萄の多い葡萄パンと少ない葡萄パンができてしまう、完全にものが平均に散らばる確率も低い、と言う話を聞いたことがあります。
また、郷土史を調べて「祟り」と言われるようになった背景を明らかにするのも良いでしょう。
安全運転、高齢になったら潔く免許返納、精神的に追い込まれたら躊躇せず精神科や電話相談することが大事かと思います。
Comments